カテゴリー

ご挨拶

デザインから実車へ・・・「夢のカタチⅡ」のスタートにあたり

初めに自己紹介と、イタリア・トリノに出向き、ランボルギーニ・ソーニャを製作した経緯を申し上げたいと思います。

私は1948年、兵庫県赤穂市に生まれました。父はIHIの技師で、お酒を飲むと大きな夢や理想を語る男でした。母は、書や絵画を嗜み、特に日舞に熱をあげ没頭しておりました。長兄は航空自衛隊で、ジェットパイロットの教官を務め、次男は三菱重工で潜水艦・海底作業基地等の設計をしておりました。私はそのような家庭で育ち、幼少時よりバイク、ジェット機、スポーツカーなどの魅力的な動体デザインに魅了され、いつしか憧れのスポーツカーをデザインすることに夢中になっていました。

ツーシーターミッドシップ・スポーツカー(19才当時デザイン)

高校時代には、自身の美的感覚をテクノロジーに融合させた仕事に就きたいと思うようになりましたが、さらに夢は膨らみ、誰も考えたことのない世界最高のスポーツカーをデザインし、自らの手で作りたいと思うようになりました。独自の発想で、魅力的なフォルムと機能とは何かについて、かなりの年月、研究に没頭し、自分でも満足できる自信作が出来上がりつつありました。

基本的なデザインも固まりましたが、実際に製作するには、日本における「最高出力280馬力」という自主規制がある事に加えて、自動車メーカーは一台の車を開発するために莫大な資金を投じて作るため、大量生産・大量販売でなければ経営が成立しないのです。そもそも、自動車メーカーならぬ一個人が「夢のスポーツカーを作る」という発想は、どう考えても不可能に近いという現実は、頭から拭いきれませんでした。

しかし、どうしても夢を捨てきれず、どうすれば夢の車を造ることが可能になるかを考えに考え尽くした末「超高品質、最高クラスの高出力のエンジン、そして他に類をみない最高のデザインのスーパースポーツカーを少数限定製造し、世界の特定の顧客に販売する」という新しいスタイルのメーカーを創業するしか道はないという結論に至ったのです。価格は超高額(約1億円)になりますが、それを逆手に取り、限定生産の奇策を用いて実行に移すことにしました。

そして、私が考えるスポーツカーに必要な、ランボルギーニやフェラーリの高出力、大排気量のエンジンを求め、イタリアに渡る決心をしました。まずはチャンスを掴むべく、カースタイリング主催のカーデザイナーズツアーに参加し、手がかりをつかむことにしたのです(詳しくは月刊ROSSO誌2002年10月号より16回連載された「Car Dreaming Story ~ SONGA夢のカタチ」に記載)。

イタリア・トリノモーターショー、アルファロメオミュージアム、フィアット社工場等の見学、そして憧れのカロッツェリアの見学をした後、ツアーの仲間達と別れ、私は一人トリノに残り、数社のカロッツェリアへデザイン画・そのスケールモデルを持ち込み、必死で本場のデザイナー・経営者達に掛け合いました。その結果、協力者を得て、現地トリノで、車のデザインと製造をするカロッツェリア「ART&TECH TORINO SRL」の設立に至り、遂に実車の製作が始まりました。

その当時、一億円もするような少量生産の車は、まだ大手自動車メーカーはほとんど作っていなかったように思いますが、それこそが、私の車づくりのスタートでした。フランクフルト、ジュネーブといった国際モーターショーへの出展を経て欧州での評価も高まり、トリノモーターショーでは光栄にも招待出展を受け、メインブースに展示していただくことになりました。しかしながら、日本ではあまり理解されなかったように感じました。当時 (あるいは今でも) 、車をデザインして開発するのは、自動車メーカーのやる事だというのが常識であり、カーデザイナーは自動車メーカーに属するのが常識であったのです。私のように個人的にデザインをした挙句、それを製造するという試みは、まったく考えられない非現実的な企てでありました。

早いもので、その「Lamborghini SOGNA(夢)」を作ってから20数年が過ぎましたが、ソーニァが誕生した1992年とは、バブル崩壊により世界中の経済が崩壊していった年でもあり、車の世界はスピードやパワー、芸術性よりも、経済性がさらに重要視される時代になっていきました。大排気量のスーパーカーはもとより、一般小型車に至るまで、エコノミー(エコ)カー開発にメーカー各社が一斉にハンドルを切り替えたのでした。それ以後も阪神淡路大震災、9.11事件、ドバイショック、リーマンショック、あるいは3.11東北沖沖大地震といった大規模な災害も続きました。奢侈品の極みとも言えるスーパーカーは、時代背景に大きな影響を受けます。エコノミーカーから、さらにはエコロジーの時代に入り、スーパーカーの出る幕は閉ざされてしまうのではないかという心配もありましたが・・・

もう一度、夢のクルマを作ろう。それが「夢のカタチⅡ」

私は今回、コンセプト、デザイン、エンジニアリング、製造、走行までの「全開発工程」をインターネットで公開しようと考えています。特に、デザインの開発工程はメーカーのブラックボックスであり、プロのデザイナーが一目見るだけでパクられてしまいます。トップシークレットであり、販売されるまで、公開されることは通常ありえません。
私はそれをインターネットで世界の人たちに公開し、共に呼応しながら造って行こうと考えているのです。前代未聞の試みだと思いますが、あえて行動を起こすことが、どのような風を巻き起こすのか・・・未来のスーパーカー製作に取り組む私にとって、これも一つの新たな挑戦と考えております。

アートアンドテック株式会社
代表取締役・カーデザイナー 山﨑亮志

It's only fair to share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn