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[19] 起死回生

コジョラ社長と組んで車を製作しようという話が進み出して、

その時にコジョラ社長は、焦りというか、

『早くしろ、早くしろ。』

と、再三再度にわたって催促し、日本へ帰って来て検討中の段階でも、

『急いでくれ。』

と、連絡やFAXが入っていた。そういう気持ちは私も同様だったのだが、

そうは言われても何億という資金を出資者から提供してもらう為には、

そうとう周到にいろいろな準備や、契約書の作成などをしなければならなかった。

コジョラ氏はなにか不安を感じていたのではないだろうか。

私自身も焦りながら事を進めていたそんなある日突然に現地から電話があり、

『コジョラ氏が亡くなりました。』

という連絡を受けた。

我が耳を疑った。

大変なことになったのである。

コジョラ社長急逝の報を聞き、さてどうしたものかと混乱していた時に、

今度はランボルギーニ社より1通のFAXが届く。

内容は、コジョラ氏がいてこそのプロジェクトだからこの件は白紙撤回する。

なかったことにしてほしい、といった主旨であった。

私にとっては、再度、大変ショックなニュースが届いたのである。

日本のスタッフ達と一緒にどうしようかと、大変なことになったと頭を抱えていた。

ここまで話を進めてきて、出資者も手の届くところにいるのにも関わらず、である。

どうしようもないなと、途方に暮れて茫然自失としている時に、

当時私の会社で副社長をしていた人が、

『こんなところでじっとしていてはダメだ。とにかくイタリアへ行ってきてください。』

とにかく直接行って話をつけなければいけないと言うのだ。

というわけで、当時私の片腕をしていた人と2人でイタリアへ行くことになる。

直接行く旨を事前にランボルギーニ社へ伝えると、向こうもいろいろと事情があって、

プロジェクト中止のFAXを送ってきたわけだから、彼ら(欧米人)のよく使う手として居留守を使うであるとか、

他にディフェンスというか弁解、防御の体制を整えて自己防衛してくるだろう。

だから、行くということは先方へ知らせてはいけない。

黙って、隠密裏に事を運び、出し抜けに会社まで行って、面会口で突然私本人が来たことを告げないと、

絶対に逃げられる可能性がある。

それでとにかくすぐにイタリアへ飛んで、現地の通訳を引き連れ、

モデナのランボルギーニ本社工場へ行くのであった。

ランボルギーニに限ったことではないと思うが、秘密保持の為かなり厳重なチェックを行うので、

まず受付で一旦プールされて(止められて)、

いろいろな各部署へ連絡を回してから担当者が迎えに来るのだ。

私は、コジョラ氏が亡くなったからといって、

紙切れ1枚のFAXで一方的な態度に大変腹立たしい気持ちを胸に秘め、

会社も既にあり(日本では既に設立していた)、それはないだろうという思いで気が荒立っていた。

しかし、そういう憤慨した気持ちが大変強かったのだが、ここで感情をストレートにぶつけ、

喧嘩をしてしまうと取り返しがつかなくなり、お互いに引っ込みがつかなくなる。

どうしてもそういうふうにもっていくわけにはいかない。

そこで私はプレゼントを持っていった。

イタリア人はプレゼントが好きだということを考えた上で、あるものを買って持って行ったのである。

ランボルギーニ社の受付で、しばらく待ってくれということなので10分程待っていると、

営業担当の重役、スガールチ氏が現れた。普段、ランボルギーニの窓口として話を進めていた人だ。

その180以上はある長身の彼が、

蒼白な顔をしてものすごく緊張した面持ちで我々の目の前に出てきた。

それもそうだろう、ここまでプロジェクトの協力を約束しておいて契約まで交わしたのに、

それを一方的にコジョラ氏が亡くなったという理由だけで白紙撤回しようとしているなんて、

非常識なことである。とても他言できるものではないことだ。

私がさぞかし憤慨して、日本から怒って飛んできて、

刀でも持ってきて斬られるのではないだろうかと思っていたのかもしれない。

そういう緊迫した状況の中でお互いに顔を合わせたのだが、

私は精一杯の笑顔で微塵にも腹が立って飛んで来たということを一切見せずに、

満面の笑みを表情に作り、すっと手を差し出して握手を交わした。

すると向こうは鳩が豆鉄砲を喰らったように面食らった表情であっけにとられて、

拍子抜けしつつ私達を彼のオフィスへと案内した。

私は終始涼しい顔で、その対照的に彼は申し訳なさそうな顔をしていたが、

あえてそれを無視してぽんと目の前にキヤノンの高価な一眼レフカメラを出して、それをプレゼントした。

これは当時の値段で16、7万はした高級なものを、出発前の成田空港で事前に買っておいたものだ。

すると彼は途端に喜んだ顔になってがらりと態度が変わり、緊張がほぐれて打ち解けた空気になった。

『俺はこういうカメラが好きなんだ。』

彼のメカ好きなところへうまく訴えかけることができたようである。

イタリアではその当時カメラはものすごく高価なもので貴重品だった。

そこへ日本の技術の結晶であるカメラ、当時はまだ珍しい部類のオートフォーカス機能内蔵で、

フラッシュも自動で光るような最新機種をひっさげて私が現れたのである。

デザインも格好いいもので、彼は子供のように喜んでいた。

この緊張の糸がほぐれたタイミングを見計らって、いよいよ本題を切り出した。

今回のランボルギーニの対応は非常に困る、

こちらもきちんとした契約を踏んで全ての準備を進めているのだから、コジョラ氏が亡くなったからといって、

そう簡単に後へは引き下がれない。

理路整然と穏やかに、だが一気にまくしたてるように相手へ詰め寄った。

というように、こちらが強気で話を押し通すと、

『会社全体の、社長ならびに役員会で決定されたことなので私の一存では決められないが、
山﨑さんのその情熱はよくわかりました。だから再度、自分が山﨑さんの意向に沿って、
社長以下の会社の重役陣にかけあって努力するので、もう少し待ってもらえないだろうか。』

と言われた。

彼は私の熱意を認めてくれて、冷たくクールな組織対組織ではなく人間対人間、

イタリア人独特の熱いハートで感じてもらい、努力しましょうと言ってくれたのだ。

これで、まずは頓挫の危機をなんとか脱出することとなる。

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2 comments

    • 水谷 悦夫 on 2016年05月07日 at 20:02

    Reply

    昨年、NPO技術振興会のプレゼン(吉海江様経由)で、当日、参加していた水谷です。デザイナーの山崎様とは名刺交換をさせていただきました。その後、プロジェクトチーム結成されご活躍中と、吉海江様からお便り伺っております。

    さて、小生も「車社会」は、移動手段として人類だけが得た移動空間ですが、昨今、この概念が国内において電動カ―化が進んでいると思います。しかし、この
    レシプロエンジンの「音」があって、アクセルレスポンスがあって、地面とのグリップ感があって、初めての車であり、音も無く、ましてや自動運転など、それは別の乗り物ではないでしょうか?、

    私もGTRこそ買えませんでしたがターボ付きスカイラインでドライブを楽しんだものです。ぜいたく品でありますが、「夢」と「希望」を与えてくれる装飾品であると、今後も、是非、主張するコンセプトカー車を拝見させてください。中々、日本においては、トヨタ社長のような「車」への理解者が少なく、スポンサーも希少でもあるのでしょうが、なぜかBMWやベンツ、レクサス等の高級車両を求める国内の富裕層が多くなっている現実もあるのではないでしょうか。その意味でヨーロッパの伝統術品ではありますが、日本版のランボルギーニ仕様カーがあっても良いのではないではと願っており、賛同スポンサーがいて欲しいです。2020年に向けて国内は気分が上昇していくとも予測されます。より理解あるスポンサーがついて、益々のご発展をお祈りしております。

    その後のブログ更新がやや少ないようですがこの返信が届けば幸いです。
    Apr.08’2016 水谷記す

    • Viney on 2016年05月14日 at 19:44

    Reply

    This is my new favourite blog… and Carola is my new styir-inspieatlon! She glows in her confidence and elegance. It makes me want to express my authentic self every day! (I actually printed out a couple of these pictures and have posted them to my inspiration board. :-))jag xox

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